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ラホール駅で (紀行) | 1978年 | 清水幹夫 | 3,337字 | 22k | Download |
タクシーを走らせてラホール駅に着いた頃は10時を少し回っていた。駅前は大きな広場になっていて、中央にロータリーがある。タクシーが列車から降りる人々を待って停車しているのは日本と変わらない。ただ、そのタクシーが色とりどりの幌を付けた三輪ミゼットであったり、何人乗りとは一概に言えそうにない馬車(ターンガー)であったりするのがやはり異国の雰囲気を感じさせる。
パキスタン(「神聖な土地」の意)の人々がこのターンガーに乗れるだけ相乗りして、多いときには6〜7人も同乗しているのを見かけたことがある。タクシーを降りると... <鉄道線路(社)日本鉄道施設協会Vol.27 掲載 1979年> |
オラーンバータル (紀行) | 1985年 | 清水幹夫 | 16,004字 | 44k | Download |
一人のクリスマス シートベルトにガタがきていたので隣りの席に勝手に移りクリスマスディナーとして準備された機内食をがら空きのパンナム機の中で一人寂しく食べたのは今から四年前になる。夜も十時を過ぎロス発東京経由北京行きでは乗客も多いはずはなかった。窓下にはオリオン座の四角形がまるでペンダントでも吊したかのように夜の闇の底に輝いていた。... <痛風会報5回連載.No.222.〜No.226 March〜July 1985年> |
セイジカヤさん、さようなら 前編 | 1996年 | 魚住平和 | 87,596字 | 176k | Download |
遊牧民の子ナランはソ連に始まったペレストロイカがモンゴルにも及んだお蔭で念願の日本留学を果たした。留学中に議員である家屋清造の次男清二と知り合い、恋愛関係となった。彼女は結婚を約し一時帰国する。その年の六月モンゴルでは社会主義を放棄して初めての総選挙が行われた。彼女は古い体質を持つ人民革命党では真の改革は断行できないと確信し、民主党を支持したのであったが当の民主党は人民革命党に大敗してしまった。 一方同じ頃日本では与党の足並みの乱れから総選挙となっていた。だが、選挙を前に清造が急死してしまうのであった。無職であった清二は仕方なく前年亡くした兄に替わって父の跡を継ぐ決心をする。強力な地盤を背景に秘書等の活躍もあって清二は初当選した。しかし、彼の属する与党は歴史的敗北を喫して野党に下ってしまう。 再来日したナランは祖国の発展を祈りつつ清二と結婚した。けれども、政界にあって次第に変わり行く清二と留学中には見えなかった日本の真の姿を見るにつけ、彼女の心は次第に清二から離れていく。先輩政治家から離れきれず旨く生きることを基準にした生活を続ける清二と決別した方がよいと考え始める。決別するということはモンゴルがこれから発展していく為の計画を彼女自らが推し進めていくことを意味していた。市民が描く一本の線にそって直道を生きて欲しいと言い残して彼女は帰国していった。それから二年後の九十六年ナランの支持するモンゴル民主連合は旧共産主義エリートが支配する与党人民革命党をついに破り勝利する。浅間山荘で銃撃戦展開中に両国の国交が樹立された日から二四年目のことであった。自国改革に情熱を傾ける両国の若者の物語。 |
内申書は直接合否に関係しない (教育) | 1989年 | 清水幹夫 | 1,432字 | 4k | Download |
高校入試のシーズンだけに2月17日付本欄「内申書を生徒に見せよう」を読み、書かれた内申書の内容を知らずに不安と不審を抱かれた父母や受験生もおられるのではと思います。通算8年間高校の入試選抜委員をつとめた立場で、一言お伝えしておきたい。... <1989年2月27日付け 朝日新聞朝刊 「論壇」掲載> |
ホワイトアウト (童話) | 1998年 | 橋本鷹之烝 | 25,534字 | 66k | Download |
天界にあってすべてを見ておりましたおばー様は深い悲しみに沈みました。とくに自分が残してきたナイフが原因となって起きた事件ですから、これにはとてもこたえました。心配したおじー様はおばー様のそばに寄り添うと... |